ぜと云へば斎藤茂吉は僕の心の一角にいつか根を下してゐるからである。僕は高等学校の生徒だつた頃に偶然「赤光《しやくくわう》」の初版を読んだ。「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来《じらい》僕は茂吉と共におたまじやくしの命を愛し、浅茅の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。かう云ふ茂吉を冷静に見るのは僕自身を冷静に見ることである。僕自身を冷静に見ることは、――いや、僕は他見を許さぬ日記をつけてゐる時さへ、必ず第三者を予想した虚栄心を抱かずにはゐられぬものである。到底行路の人を見るやうに僕自身を見ることなどの出来る筈はない。
 僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になつたのでもない。斎藤茂吉にあけて貰つたのである。もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかつたとすれば、僕は未だに耳木兎《みみづく》のやうに、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさへ出来なかつたであらう。ハイネ、ヴエルレエン、ホイツトマン、――さう云ふ紅毛の詩人の詩を手あたり次第読んだのもその頃である。が、僕の語学の素養は彼等の内陣
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