よりも油断はならぬ。いや彼等は彼等を造つた天才よりも長命である。耶蘇《ヤソ》紀元三千年の欧羅巴《ヨーロツパ》はイブセンの大名をも忘却するであらう。けれども勇敢なるピイア・ギユントはやはり黎明の峡湾を見下してゐるのに違ひない。現に古怪なる寒山拾得は薄暮の山巒《さんらん》をさまよつてゐる。が、彼等を造つた天才は――豊干《ぶかん》の乗つた虎の足跡も天台山の落葉の中にはとうの昔に消えてゐるであらう。
 僕は上海《シヤンハイ》のフランス町に章太炎《しやうたいえん》先生を訪問した時、剥製の鰐《わに》をぶら下げた書斎に先生と日支の関係を論じた。その時先生の云つた言葉は未だに僕の耳に鳴り渡つてゐる。――「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない。」先生はまことに賢人である。僕は度たび外国人の山県公爵を嘲笑し、葛飾北斎を賞揚し、渋沢子爵を罵倒するのを聞いた。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太郎へ一|矢《し》を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含ん
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