に重太郎は後藤子爵よりも一層我々の情意の上に大いなる影響を及ぼし易い。我々は天の橋立に大敵と戦ふ重太郎には衷心《ちうしん》の不安を禁ずることは出来ぬ。けれども衆議院の演壇に大敵と戦ふ後藤子爵には至極に冷淡に構へられるのである。
岩見重太郎の軽蔑出来ぬ所以はあらゆる架空の人物の軽蔑出来ぬ所以である。架空の人物と云ふ意味は伝説的人物を指すばかりではない。俗に芸術家と称《とな》へられる近代的伝説製造業者の造つた架空の人物をも加へるのである。カイゼル・ウイルヘルムを軽蔑するのは好い。が、一|穂《すゐ》のともし火のもとに錬金の書を読むフアウストを軽蔑するのは誤りである。フアウストの書いた借金証文などは何処の図書館にもあつたことはない。しかしフアウストは今日もなほベルリンのカフエの一隅に麦酒《ビール》を飲んでゐるのである。ロイド・ヂヨオヂを軽蔑するのは好い。が、三人の妖婆の前に運命を尋ねるマクベスを軽蔑するのは誤りである。マクベスの帯びた短刀などは何処の博物館にもあつたことはない。しかしマクベスは相不変ロンドンのクラブの一室に葉巻を薫《く》ゆらせてゐるのである。彼等は過去の人物は勿論、現在の人物
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