に「長束正家儀、永々病気の処、薬石《やくせき》効《かう》無く」と云ふ広告を見ても、格別気の毒とは思ひさうもない。しかし重太郎の長逝を報ずる号外か何か出たとすれば、戯曲「岩見重太郎」の中にこの豪傑を翻弄した、無情なる菊池寛と雖も、憮然《ぶぜん》たらざるを得ないことであらう。のみならず重太郎は感情以上に我々の意志をも支配してゐる。戦《いくさ》ごつこをする小学生の重太郎を真似るのは云ふを待たない。僕さへ論戦する時などには忽《たちま》ち大蛇《おろち》を退治する重太郎の意気ごみになりさうである。
 第二に岩見重太郎は現代の空気を呼吸してゐる人物――たとへば後藤子爵よりもより生命に富んだ人間である。成程子爵は日本の生んだ政治的豪傑の一人かも知れない。が、如何なる豪傑にもせよ、子爵後藤新平なるものは恰幅《かつぷく》の好い、鼻眼鏡をかけた、時々哄然と笑ひ声を発する、――兎に角或制限の中にちやんとをさまつてゐる人物である。甲の見た子爵は乙の見た子爵よりも眼が一つ多かつたなどと云ふことはない。それだけに頗《すこぶ》る正確である。同時に又頗る窮屈である。もし甲は象の体重を理想的の体重としてゐるならば、象より
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