わかきかなしき力おもはざらめや
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 菲才《ひさい》なる僕も時々は僕を生んだ母の力を、――近代の日本の「うらわかきかなしき力」を感じてゐる。僕の歌人たる斎藤茂吉に芸術上の導者を発見したのは少しも僕自身には偶然ではない。

       岩見重太郎

 岩見重太郎と云ふ豪傑は後《のち》に薄田隼人《すすきだはやと》の正兼相《しやうかねすけ》と名乗つたさうである。尤もこれは講談師以外に保証する学者もない所を見ると、或は事実でないのかも知れない。しかし事実ではないにもせよ、岩見重太郎を軽蔑するのは甚だ軽重《けいちよう》を失したものである。
 第一に岩見重太郎は歴史に実在した人物よりもより生命に富んだ人間である。その証拠には同時代の人物――たとへば大阪五奉行の一人、長束大蔵《ながつかおほくら》の少輔正家《せうゆうまさいへ》を岩見重太郎と比べて見るが好い。武者修業の出立《いでた》ちをした重太郎の姿はありありと眼の前に浮んで来る。が、正家は大男か小男か、それさへも我々にははつきりしない。且又かういふ関係上、重太郎は正家に十倍するほど、我々の感情を支配してゐる。我々は新聞紙の一隅
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