溥)」、第3水準1−89−18]《はうはく》する茂吉の心熱の凄じさを感ぜざるを得ないのは事実である。同時に又さう云ふ熔鉱炉の底に火花を放つた西洋を感ぜざるを得ないのも事実である。
僕は上にかう述べた。「近代の日本の文芸は横に西洋を模倣しながら、竪には日本の土に根ざした独自性の表現に志してゐる。」僕は又上にかう述べた。「茂吉はこの竪横の両面を最高度に具へた歌人である。」茂吉よりも秀歌の多い歌人も広い天下にはあることであらう。しかし「赤光」の作者のやうに、近代の日本の文芸に対する、――少くとも僕の命を托した同時代の日本の文芸に対する象徴的な地位に立つた歌人の一人もゐないことは確かである。歌人?――何も歌人に限つたことではない。二三の例外を除きさへすれば、あらゆる芸術の士の中にも、茂吉ほど時代を象徴したものは一人もゐなかつたと云はなければならぬ。これは単に大歌人たるよりも、もう少し壮大なる何ものかである。もう少し広い人生を震蕩《しんたう》するに足る何ものかである。僕の茂吉を好んだのも畢竟《ひつきやう》この故ではなかつたのであらうか?
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あが母の吾《あ》を生ましけむうら
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