はた》を潮ふきあげし疾風《はやかぜ》とほる
あかあかと南瓜《かぼちや》ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる
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これらの歌に対するのは宛然《さながら》後期印象派の展覧会の何かを見てゐるやうである。さう云へば人物画もない訳ではない。
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狂人のにほひただよふ長廊下まなこみひらき我はあゆめる
すき透り低く燃えたる浜の火にはだか童子は潮にぬれて来《く》
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のみならずかう云ふ画を描いた画家自身の姿さへ写されてゐる。
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ふゆ原に絵をかく男ひとり来て動くけむりをかきはじめたり
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幸福なる何人かの詩人たちは或は薔薇《ばら》を歌ふことに、或はダイナマイトを歌ふことに彼等の西洋を誇つてゐる。が、彼等の西洋を茂吉の西洋に比べて見るが好い。茂吉の西洋はをのづから深処に徹した美に充ちてゐる。これは彼等の西洋のやうに感受性ばかりの産物ではない。正直に自己をつきつめた、痛いたしい魂の産物である。僕は必ずしも上に挙げた歌を茂吉の生涯の絶唱とは云はぬ。しかしその中に磅※[#「石+(くさかんむり/
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