塔の霞の中に九輪《くりん》だけ光らせているところは与謝野晶子《よさのあきこ》でも歌いそうなのよ。それを山本って人の遊びに来た時に『山本さん。塔が見えるでしょう?』って教えてやったら、『ああ、見えます。何メエトルくらいありますかなあ』って真面目《まじめ》に首をひねっているの。低能児《ていのうじ》じゃないって云ったけれども、芸術的にはまあ低能児だわね。
「そう云う点のわかっているのは文雄《ふみお》ってあたしの従兄《いとこ》なのよ。これは永井荷風《ながいかふう》だの谷崎潤一郎《たにざきじゅんいちろう》だのを読んでいるの。けれども少し話し合って見ると、やっぱり田舎《いなか》の文学通だけにどこか見当が違っているのね。たとえば「大菩薩峠《だいぼさつとうげ》」なんぞも一代の傑作だと思っているのよ。そりゃまだ好《い》いにしても、評判の遊蕩児《ゆうとうじ》と来ているんでしょう。そのために何でも父の話じゃ、禁治産《きんじさん》か何かになりそうなんですって。だから両親もあたしの従兄には候補者の資格を認めていないの。ただ従兄の父親だけは――つまりあたしの叔父《おじ》だわね。叔父だけは嫁《よめ》に貰いたいのよ。
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