結婚しないってことはどうもちょっとむずかしいらしいの。東京じゃそんなことは何でもないのね。それをこの市《まち》じゃ理解もなしに、さも弟だの妹だのの結婚を邪魔《じゃま》でもするために片づかずにいるように考えるんでしょう。そう云う悪口《わるくち》を云われるのはずいぶんあなた、たまらないものよ。
「そりゃあたしはあなたのようにピアノを教えることも出来ないんだし、いずれは結婚するほかに仕かたのないことも知っているわ。けれどもどう云う男とでも結婚する訣《わけ》には行《ゆ》かないじゃないの? それをこの市じゃ何かと云うと、『理想の高い』せいにしてしまうのよ。『理想の高い』! 理想って言葉にさえ気の毒だわね。この市じゃ夫の候補者《こうほしゃ》のほかには理想って言葉を使わないんですもの。そのまた候補者の御立派《ごりっぱ》なことったら! そりゃあなたに見せたいくらいよ。ちょっと一例を挙げて見ましょうか? 県会議員の長男は銀行か何かへ出ているのよ。それが大《だい》のピュリタンなの。ピュリタンなのは好《い》いけれども、お屠蘇《とそ》も碌《ろく》に飲めない癖に、禁酒会の幹事をしているんですって。もともと下戸《
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