締切り日は――弔辞《ちょうじ》などを書いている場合ではない。昼夜兼行に勉強しても、元来仕事に手間《てま》のかかる彼には出来上るかどうか疑問である。保吉はいよいよ弔辞に対する忌《いま》いましさを感じ出した。
この時大きい柱時計の静かに十二時半を報じたのは云わばニュウトンの足もとへ林檎《りんご》の落ちたのも同じことである。保吉の授業の始まるまではもう三十分待たなければならぬ。その間《あいだ》に弔辞を書いてしまえば、何も苦しい仕事の合い間に「悲しいかな」を考えずとも好《い》い。もっともたった三十分の間に資性《しせい》穎悟《えいご》にして兄弟《けいてい》に友《ゆう》なる本多少佐を追悼《ついとう》するのは多少の困難を伴っている。が、そんな困難に辟易《へきえき》するようでは、上は柿本人麻呂《かきのもとひとまろ》から下《しも》は武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》に至る語彙《ごい》の豊富を誇っていたのもことごとく空威張《からいば》りになってしまう。保吉はたちまち机に向うと、インク壺へペンを突《つっ》こむが早いか、試験用紙のフウルス・カップへ一気に弔辞を書きはじめた。
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