心に主張したそうですからね。」
マゾフの愚を知った田中中尉はやっと保吉を解放した。もっともマゾフは国防計画よりも私娼保護を重んじたかどうか、その辺は甚だはっきりしない。多分はやはり国防計画にも相当の敬意を払っていたであろう。しかしそれをそう云わなければ、この楽天家の中尉の頭に変態性慾《へんたいせいよく》の莫迦莫迦《ばかばか》しい所以《ゆえん》を刻《きざ》みつけてしまうことは不可能だからである。……
保吉は一人になった後《のち》、もう一本バットに火をつけながら、ぶらぶら室内を歩みはじめた。彼の英吉利《イギリス》語を教えていることは前にも書いた通りである。が、それは本職ではない。少くとも本職とは信じていない。彼はとにかく創作を一生の事業と思っている。現に教師になってからも、たいてい二月《ふたつき》に一篇ずつは短い小説を発表して来た。その一つ、――サン・クリストフの伝説を慶長版《けいちょうばん》の伊曾保物語《いそぽものがたり》風にちょうど半分ばかり書き直したものは今月のある雑誌に載せられている。来月はまた同じ雑誌に残りの半分を書かなければならぬ。今月ももう七日《なぬか》とすると、来月号の
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