の気の毒さの前に、一時間に亘《わた》る葬式中、始めて悄然《しょうぜん》と頭を下げた。本多少佐の親族諸君はこう云う英吉利《イギリス》語の教師などの存在も知らなかったのに違いない。しかし保吉の心の中には道化《どうけ》の服を着たラスコルニコフが一人、七八年たった今日《こんにち》もぬかるみの往来へ跪《ひざまず》いたまま、平《ひら》に諸君の高免《こうめん》を請いたいと思っているのである。………
葬式のあった日の暮れがたである。汽車を降りた保吉は海岸の下宿へ帰るため、篠垣《しのがき》ばかり連《つらな》った避暑地の裏通りを通りかかった。狭い往来は靴《くつ》の底にしっとりと砂をしめらせている。靄《もや》ももういつか下《お》り出したらしい。垣の中に簇《むらが》った松は疎《まば》らに空を透かせながら、かすかに脂《やに》の香《か》を放っている。保吉は頭を垂れたまま、そう云う静かさにも頓着《とんじゃく》せず、ぶらぶら海の方へ歩いて行った。
彼は寺から帰る途中、藤田大佐と一しょになった。すると大佐は彼の作った弔辞の出来栄えを賞讃した上、「急焉《きゅうえん》玉砕《ぎょくさい》す」と云う言葉はいかにも本多少佐
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