資性《しせい》穎悟《えいご》兄弟《けいてい》に友《ゆう》に」と読みつづけた。すると突然親族席に誰かくすくす笑い出したものがある。のみならずその笑い声はだんだん声高《こわだか》になって来るらしい。保吉は内心ぎょっとしながら、藤田大佐の肩越しに向う側の人々を物色《ぶっしょく》した。と同時に場所|柄《がら》を失した笑い声だと思ったものは泣き声だったことを発見した。
声の主《ぬし》は妹である。旧式の束髪《そくはつ》を俯向《うつむ》けたかげに絹の手巾《はんけち》を顔に当てた器量好《きりょうよ》しの娘さんである。そればかりではない、弟も――武骨《ぶこつ》そうに見えた大学生もやはり涙をすすり上げている。と思うと老人もしっきりなしに鼻紙を出してはしめやかに鼻をかみつづけている。保吉はこう云う光景の前にまず何よりも驚きを感じた。それからまんまと看客《かんかく》を泣かせた悲劇の作者の満足を感じた。しかし最後に感じたものはそれらの感情よりも遥かに大きい、何とも云われぬ気の毒さである。尊《たっと》い人間の心の奥へ知らず識《し》らず泥足《どろあし》を踏み入れた、あやまるにもあやまれない気の毒さである。保吉はこ
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