そし》りを受けることを顧みないとすれば。)
 僕はかう云ふことを考へた揚句《あげく》、畢竟《ひつきやう》森先生は僕等のやうに神経質に生まれついてゐなかつたと云ふ結論に達した。或は畢《つひ》に詩人よりも何か他のものだつたと云ふ結論に達した。「澀江抽斎《しぶえちうさい》」を書いた森先生は空前の大家だつたのに違ひない。僕はかう云ふ森先生に恐怖に近い敬意を感じてゐる。いや、或は書かなかつたとしても、先生の精力は聡明の資と共に僕を動かさずには措《お》かなかつたであらう。僕はいつか森先生の書斎に和服を着た[#「和服を着た」に傍点]先生と話してゐた。方丈《はうぢやう》の室に近い書斎の隅には新らしい薄縁《うすべ》りが一枚あり、その上には虫干しでも始まつたやうに古手紙が何本も並んでゐた。先生は僕にかう言つた。――「この間柴野|栗山《りつざん》(?)の手紙を集めて本に出した人が来たから、僕はあの本はよく出来てゐる、唯手紙が年代順に並べてないのは惜しいと言つた。するとその人は日本の手紙は生憎《あいにく》月日しか書いてないから、年代順に並べることは到底出来ないと返事をした。それから僕はこの古手紙を指さし、ここ
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