日本訳「葡萄《ぶだう》畑の葡萄作り」の中にある)一見未完成かと疑はれる位である。が、実は「善く見る目」と「感じ易い心」とだけに仕上げることの出来る小説である。もう一度セザンヌを例に引けば、セザンヌは我々後代のものへ沢山の未完成の画を残した。丁度ミケル・アンヂエロが未完成の彫刻を残したやうに。――しかし未完成と呼ばれてゐるセザンヌの画さへ未完成かどうか多少の疑ひなきを得ない。現にロダンはミケル・アンヂエロの未完成の彫刻に完成の名を与へてゐる!……しかしルナアルの小説はミケル・アンヂエロの彫刻は勿論、セザンヌの画の何枚かのやうに未完成の疑ひのあるものではない。僕は不幸にも寡聞《くわぶん》の為に仏蘭西《フランス》人はルナアルをどう評価してゐるかを知らずにゐる。けれども、わがルナアルの仕事の独創的なものだつたことを十分に[#「十分に」に傍点]は認めてゐないらしい。
ではかう云ふ小説は紅毛人《こうまうじん》以外には書かなかつたか? 僕は僕等日本人の為に志賀直哉氏の諸短篇を、――「焚火《たきび》」以下の諸短篇を数へ上げたいと思つてゐる。
僕はかう云ふ小説は「通俗的興味はない」と言つた。僕の通俗
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