劣つてゐるとは言はれないのである。
十二 詩的精神
僕は谷崎潤一郎氏に会ひ、僕の駁論《ばくろん》を述べた時、「では君の詩的精神とは何を指すのか?」と云ふ質問を受けた。僕の詩的精神とは最も広い意味の抒情詩である。僕は勿論かう云ふ返事をした。すると谷崎氏は「さう云ふものならば何にでもあるぢやないか?」と言つた。僕はその時も述べた通り、何にでもあることは否定しない。「マダム・ボヴアリイ」も「ハムレツト」も「神曲」も「ガリヴアアの旅行記」も悉く詩的精神の産物である。どう云ふ思想も文芸上の作品の中に盛られる以上、必ずこの詩的精神の浄火《じやうくわ》を通つて来なければならぬ。僕の言ふのはその浄火を如何に燃え立たせるかと云ふことである。それは或は半ば以上、天賦《てんぷ》の才能によるものかも知れない。いや、精進の力などは存外《ぞんぐわい》効のないものであらう。しかしその浄火の熱の高低は直ちに或作品の価値の高低を定めるのである。
世界は不朽《ふきう》の傑作にうんざりするほど充満してゐる。が、或作家の死んだ後、三十年の月日を経ても、なほ僕等の読むに足る十篇の短篇を残したものは大家と呼んで
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