作家だつた。(但し「書くやうにしやべるものは即ちしやべるやうに書いてゐるから」と云ふ循環論法的な意味ではない。)「しやべるやうに書く」作家は前にも言つたやうにゐない訣《わけ》ではない。が、「書くやうにしやべる」作家はいつこの東海の孤島に現はれるであらう。しかし、――
 しかし僕の言ひたいのは「しやべる」ことよりも「書く」ことである。僕等の散文も羅馬《ロオマ》のやうに一日に成つたものではない。僕等の散文は明治の昔からじりじり成長をつづけて来たものである。その礎《いしずゑ》を据《す》ゑたものは明治初期の作家たちであらう。しかしそれは暫く問はず、比較的近い時代を見ても、僕は詩人たちが散文に与へた力をも数へたいと思ふものである。
 夏目先生の散文は必しも他を待つたものではない。しかし先生の散文が写生文に負ふ所のあるのは争はれない。ではその写生文は誰の手になつたか? 俳人兼歌人兼批評家だつた正岡子規の天才によつたものである。(子規はひとり写生文に限らず、僕等の散文、――口語文の上へ少からぬ功績を残した。)かう云ふ事実を振り返つて見ると、高浜|虚子《きよし》、坂本|四方太《しはうだ》等の諸氏もやは
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