る。)しかしこの一点はたとひ作家自身は意識しないにもせよ、確かに同氏の作品に独特の色彩を与へるものである。「焚火」、「真鶴《まなづる》」等の作品は殆《ほとん》どかう云ふ特色の上に全生命を託したものであらう。それ等の作品は詩歌にも劣らず(勿論この詩歌と云ふ意味は発句《ほつく》をも例外にするのではない。)頗《すこぶ》る詩歌的に出来上つてゐる。これは又現世の用語を使へば、「人生的」と呼ばれる作品の一つ、――「憐れな男」にさへ看取《かんしゆ》出来るであらう。ゴム球《だま》のやうに張つた女の乳房に「豊年だ。豊年だ」を唄ふことは到底詩人以外に出来るものではない。僕は現世の人々がかう云ふ志賀直哉氏の「美しさに」比較的[#「比較的」に傍点]注意しないことに多少の遺憾を感じてゐる。(「美しさ」は極彩色《ごくさいしき》の中にあるばかりではない。)同時に又他の作家たちの美しさにもやはり注意しないことに多少の遺憾を感じてゐる。
 (四)[#「(四)」は縦中横] 更に又やはり作家たる僕は志賀直哉氏のテクニイクにも注意を怠《おこた》らない一人である。「暗夜行路」の後篇はこの同氏のテクニイクの上にも一進歩を遂げてゐ
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