ない。若し逆説的であるとすれば、かう云ふ事実そのものの逆説的に出来てゐる為である。唯何びとも青年時代には多少彼の性格の上に詩的陰影を落し易い。しかしそれは年をとるのにつれ、次第に失はれてしまふのである。(抒情詩人はこの点では実に永遠の少年である。)従つて所謂通俗小説中の人々は老人ほど滑稽に陥り易い。(但しこの所謂通俗小説は探偵小説や大衆文芸を含んでゐない。)
追記。この文章を草し終つた後、僕は新潮座談会に出席した為に鶴見|祐輔《いうすけ》氏の啓発を受け、所謂通俗小説と紅毛人の所謂 Popular novel との差別を考へ出した。僕は所謂通俗小説論はポピユラア・ノヴエルには通用しない。ベンネツト(Arnold Bennett)は彼のポピユラア・ノヴエルに Fantasies の名を与へてゐる。それは事実上あり得ない世界を読者の為に広げて見せるからであらう。かう云ふ意味は必しも幻怪の気のあると云ふ意味ではない。唯人物なり事件なりの上に文芸的に[#「文芸的に」に傍点]真の刻印を打つてゐない世界と云ふ意味であらう。
三十九 独創
現世は明治大正の芸術上の総決算をしてゐる。な
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