スラアは油画の上に浮世画を模倣をしなかつたか? いや、彼等は彼等同志もやはり模倣し合つてゐる。更に又過去に溯《さかのぼ》れば、大いなる支那は彼等の為にどの位先例を示したであらう? 彼等は或は彼等の模倣は「消化」であると云ふかも知れない。若し「消化」であると云ふならば、僕等の模倣も亦「消化」である。同じ水墨《すゐぼく》を以てしても、日本の南画は支那の南画ではない。のみならず僕等は往来の露店に言葉通り豚カツを消化してゐる。
 しかも模倣を便宜とすれば、模倣するのに勝ることはない。僕等は先祖伝来の名刀を揮《ふる》ひながら、彼等のタンクや毒|瓦斯《ガス》と戦ふ必要を認めないものである。しかも物質的文明はたとひ必要のない時にさへ、おのづから模倣を強《し》ひずには措かない。現に古代には軽羅《けいら》をまとつた希臘《ギリシヤ》、羅馬《ロオマ》等の暖国の民さへ、今では北狄《ほくてき》の考案した、寒気に堪へるのに都合の善い洋服と云ふものを用ひてゐる。
 僕等の風俗や習慣の彼等に滑稽に見えるのもやはり少しも不思議ではない。彼等は僕等の美術には――殊に工芸美術にはとうに多少の賞讃をしてゐる。それは唯|目《ま》のあたりに見ることの出来る為と言はなければならぬ。僕等の感情や思想などは、必ずしも容易に見えるものではない。江戸末期の英吉利《イギリス》公使だつた Sir Rutherford Alcock は灸《きう》を据《す》ゑてゐる子供を見、如何に僕等は迷信の為にみづから苦めてゐるかと嘲笑した。僕等の風俗や習慣の中に潜んだ感情や思想は今日でも、――小泉|八雲《やぐも》を出した今日でもやはり彼等には不可解である。彼等は僕等の風俗や習慣を勿論笑はずにはゐられないであらう。同時に又彼等の風俗や習慣もやはり僕等には可笑《をか》しいのである。たとへばエドガア・ポオは酒飲みだつた為に(或は酒飲みだつたかどうかと云ふ為に)永年死後の名声を落してゐた。「李白《りはく》一斗詩百篇」を誇る日本ではかう云ふことは可笑しいと云ふ外はない。この互に軽蔑し合ふことは避け難い事実とは云ふものの、やはり悲しむべき事実である。のみならず僕等は僕等自身の中にもかう云ふ悲劇を感じないことはない。いや、僕等の精神的生活は大抵は古い僕等に対する新しい僕等の戦ひである。
 しかし僕等は彼等よりも幾分か彼等を了解してゐる。(これは或は僕等
前へ 次へ
全55ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング