の原則だけは心得てかからなければなりません。
なほ次手に断つて置きますが、この「文字を読んでその意味を理解する」と言ふ意味は官報を読んで理解するのと同じやうに理解するのではありません。わたくしはこの議論の冒頭に文芸的素質のない人は如何に傑作に親んでも、如何に良師に従つても、鑑賞上の盲人に了る外はないと言ひました。その「鑑賞上の盲人」とは赤人人麻呂の長歌を読むこと、銀行や会社の定款《ていくわん》を読むのと選ぶ所のない人のことであります。わたしの「理解する」と言ふ意味は単に桜を一種の花木と理解することを言ふのではない。一種の花木と理解すると同時におのづから或感じを生ずる、――哲学じみた言葉を使へば、認識的に理解すると共に情緒的にも理解することを言ふのであります。
尤もその感じは好感でも好ければ、悪感でも差支へはありません。兎《と》に角《かく》或情緒だけは伴つて来なければならぬのであります。もし文芸の鑑賞に志しながら、一種の花木と言ふより外に桜を理解出来ない人があるとすれば、その人は甚だお気の毒ですが、まづ文芸の鑑賞には縁のないものとおあきらめなさい。これは文字の読めないのよりも、稽古す
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