扨《さて》鑑賞上の訓練の必要であることは、――わたくしに都合の好いやうに解釈すれば、この鑑賞講座なるものの必要であることは上に述べましたが、今この鑑賞上の訓練を助ける為に多少の言葉を費すとすると、それはざつと下に挙げる三点になるかと思ひます。即ちその三点と言ふのは(一)どう言ふ風に鑑賞すれば好いか? (二)どう言ふものを鑑賞すれば好いか? (三)どう言ふ鑑賞上の議論を参考すれば好いか?――と言ふことになるのであります。或は鑑賞上の訓練を助ける言葉は必しも上の三点に尽きてゐないかも知れません。けれどもまづ上の三点は比較的重大の問題を尽してゐると言つても好いかと思ひます。そこで愈《いよいよ》どう云ふ風に鑑賞すれば好いか? と言ふ最初の問題にはいりますが、その前にちよつと注意して置きたいのは鑑賞の始まる境であります。盲人は絵画の鑑賞に与《あづか》らなければ、聾者も音楽の鑑賞には与りません。同様に又文芸の鑑賞もまづ文字を読んでその意味を理解する所から始まるのであります。万一文芸の鑑賞に志しながら、文字の読めない人があるとすれば、早速文字を稽古おしなさい。――と言ふと常談のやうに聞えますが、この
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