いや、我々凡人ばかりではない、如何なる天才も天才以上になる大望を持つてゐれば、当然訓練を受けた上にも更に又訓練を重ねる筈であります。又実際天才の伝記――たとへば森鴎外先生の「ギヨオテ伝」(言ふまでもないことと思ひますが、森先生は所謂ゲエテを常にギヨオテと書かれたのであります。)を読んで御覧なさい。天才とは殆《ほとん》ど如何なる時にも訓練を受ける機会を逃さぬ才能と言ふことも出来るほどであります。
では又かう云ふ訓練を受けた結果、鑑賞の程度が深くなる、或は鑑賞の範囲が広くなることはどう云ふ役に立つかと言ふと、勿論深くなり広くなること自身が人生を豊富にすることは事実であります。人生は生命を銭の代りに払ふ珈琲店《コオヒイてん》と同じでありますから、いろいろのものが味はへれば、それに越した幸福はありません。が、鑑賞の程度が深くなつたり、鑑賞の範囲が広くなつたりすることは更に又創作上にも少からぬ利益を与へる筈であります。元来芸術と云ふものは――いや、これは議論よりも実例を挙げた方が早いかも知れません。実例と言ふのはロダンの話であります。ロダンはフロレンスへ行つた時にミケルアンヂェロの彫刻を見まし
前へ
次へ
全24ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング