ます。前者の馬の足跡に雨中の田舎道を浮かび出させてゐますし、後者は又稲妻形の風に大都市の往来を浮かび出させてゐます。かう言ふ例に富んでゐるのは勿論夏目先生に限りません。古来名作と称へられるものはいづれもこの妙所を具へてゐます。この妙所を捉へぬ限り、鑑賞上の十全を期することは――殊に創作上の利益を得ることは不可能と言つても好い位であります。
 尤も前にも述べた通り、細部に心を配ると言つても、それは只全篇の大意を見のがさない上の話であります。若《も》し細部に注意するのを「心の動かしかた」と称へるならば、この全篇の大意を捉へるのは「心の抑へかた」と言つても好いかと思ひます。或は又前者は「どう書いたか?」の問題、後者は「何を書いたか?」の問題と区別出来ないこともありません。次にはこの「何を書いたか?」の問題へ話を進めませう。
 前回に「何を書いたか?」の問題へ話を進めると言ひましたが、「文芸講座」もそろ/\完結に近づいた為にこの問題を論ずることは他日に譲る外はありません。尤もこれは前回にも既にちよつと話してゐますし、(第五号の「鑑賞講座」の二頁より三頁に亘る一節)又わたしの「文芸一般論」の「内
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