の脚のためと解釈するのよりも容易だったのに違いない。難を去って易《い》につくのは常に天下の公道である。この公道を代表する「順天時報」の主筆|牟多口氏《むだぐちし》は半三郎の失踪した翌日、その椽大《てんだい》の筆を揮《ふる》って下《しも》の社説を公《おおやけ》にした。――
「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕《さくゆう》五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の止《と》むるを聴《き》かず、単身いずこにか失踪したり。同仁《どうじん》病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏|脳溢血《のういっけつ》を患《わずら》い、三日間|人事不省《じんじふせい》なりしより、爾来《じらい》多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども吾人《ごじん》の問わんと欲するは忍野氏の病名|如何《いかん》にあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。
「それわが金甌無欠《きんおうむけつ》の国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にして妄《みだり
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