、十分、二十分、――時はこう言う二人の上に遅い歩みを運んで行った。常子は「順天時報《じゅんてんじほう》」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうど鎖《くさり》に繋《つな》がれた囚人《しゅうじん》のようだったと話している。が、かれこれ三十分の後《のち》、畢《つい》に鎖の断《た》たれる時は来た。もっともそれは常子の所謂《いわゆる》鎖の断たれる時ではない。半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である。濁った朱の色を透《す》かせた窓は流れ風にでも煽《あお》られたのか、突然がたがたと鳴り渡った。と同時に半三郎は何か大声を出すが早いか、三尺ばかり宙へ飛び上った。常子はその時細引のばらりと切れるのを見たそうである。半三郎は、――これは常子の話ではない。彼女は夫の飛び上るのを見たぎり、長椅子《ながいす》の上に失神してしまった。しかし社宅の支那人のボオイはこう同じ記者に話している。――半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へ躍《おど》り出た。それからほんの一瞬間、玄関の先に佇《たたず》んでいた。が、身震《みぶる》いを一つすると、ちょうど馬の嘶《いなな》きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を罩《こ》
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