ゅんぷう》の北京《ペキン》へ運んで来る砂埃《すなほこ》りである。「順天時報《じゅんてんじほう》」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来|未《いま》だ嘗《かつて》見ないところであり、「五歩の外に正陽門《せいようもん》を仰ぐも、すでに門楼《もんろう》を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外《とくしょうもんがい》の馬市《うまいち》の斃馬《へいば》についていた脚であり、そのまた斃馬は明らかに張家口《ちょうかこう》、錦州《きんしゅう》を通って来た蒙古産の庫倫《クーロン》馬である。すると彼の馬の脚の蒙古の空気を感ずるが早いか、たちまち躍ったり跳ねたりし出したのはむしろ当然ではないであろうか? かつまた当時は塞外《さいがい》の馬の必死に交尾《こうび》を求めながら、縦横《じゅうおう》に駈《か》けまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に価《あたい》すると言わなければならぬ。……
この解釈の是非《ぜひ》はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何かするように絶えず跳ねまわっていたそうである。また社宅へ帰る途
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