告て曰、一世のうち秀逸|三五《さんご》あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり。」
 名人さへ一生を消磨した後、十句しか得られぬと云ふことになると、俳諧も亦閑事業ではない。しかも芭蕉の説によれば、つまりは「生涯の道の草」である!
「十一日。朝またまた時雨《しぐれ》す。思ひがけなく東武《とうぶ》の其角《きかく》来る。(中略)すぐに病床にまゐりて、皮骨《ひこつ》連立《れんりつ》したまひたる体を見まゐらせて、且愁ひ、且悦ぶ。師も見やりたまひたるまでにて、ただただ涙ぐみたまふ。(中略)
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鬮《くじ》とりて菜飯《なめし》たたかす夜伽《よとぎ》かな  木節
皆子なり蓑虫《みのむし》寒く鳴きつくす  乙州
うづくまる薬のもとの寒さかな  丈艸
吹井《ふきゐ》より鶴をまねかん初|時雨《しぐれ》  其角
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 一々|惟然《ゐねん》吟声しければ、師|丈艸《ぢやうさう》が句を今一度と望みたまひて、丈艸でかされたり、いつ聞いてもさびしをり整ひたり、面白し面白しと、しは嗄《が》れし声もて讃めたまひにけり。」
 これは芭蕉の示寂《じじやく》前一日に起つた出来事である。芭蕉
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