くふ口つき、三十六句みなやり句などといろいろにせめられ侍《はべ》るも、みな巧者の私意を思ひ破らせんの詞《ことば》なり。」
この芭蕉の言葉の気ぐみは殆ど剣術でも教へるやうである。到底俳諧を遊戯にした世捨人などの言葉ではない。更に又芭蕉その人の句作に臨んだ態度を見れば、愈情熱に燃え立つてゐる。
「許六《きよろく》云、一とせ江戸にて何がしが歳旦びらきとて翁を招きたることあり。予が宅に四五日逗留の後にて侍る。其日雪降て暮にまゐられたり。其俳諧に、
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人声の沖にて何を呼《よぶ》やらん 桃鄰
鼠は舟をきしる暁 翁
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予其後芭蕉庵へ参《まゐり》とぶらひける時、此句をかたり出し給ふに、予が云、さてさて此暁の一字ありがたき事、あだに聞かんは無念の次第也。動かざること、大山のごとしと申せば師起き上りて曰、此暁の一字聞きとどけ侍りて、愚老が満足かぎりなし。此句はじめは
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須磨の鼠の舟きしるおと
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と案じける時、前句に声の字|有《あり》て、音の字ならず、依て作りかへたり、須磨の鼠とまでは気を廻《めぐら》し侍
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