んだのにも関らず、芭蕉以後は簡素の中に寂《さ》びを尊んだと云ふことである。芭蕉も今日に生れたとすれば、やはり本文は九ポイントにするとか、表紙の布《きれ》は木綿にするとか、考案を凝《こ》らしたことであらう。或は又ウイリアム・モリスのやうに、ペエトロン杉風《さんぷう》とも相談の上に、Typography に新意を出したかも知れぬ。
三 自釈
芭蕉は北枝《ほくし》との問答の中に、「我句を人に説くは我頬がまちを人に云《いふ》がごとし」と作品の自釈を却《しりぞ》けてゐる。しかしこれは当にならぬ。さう云ふ芭蕉も他の門人にはのべつに自釈を試みてゐる。時には大いに苦心したなどと手前味噌《てまへみそ》さへあげぬことはない。
「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店《たな》。此句、翁曰、心づかひせずと句になるものを、自讃に足らずとなり。又かまくらを生《いき》て出でけん初松魚《はつがつを》と云ふこそ心の骨折《ほねをり》人の知らぬ所なり。又曰猿の歯白し峰の月といふは其角《きかく》なり。塩鯛の歯ぐきは我老吟なり。下《しも》を魚の店と唯いひたるもおのづから句なりと宣《のたま》へり。」
まことに「我句を人に説く
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