栗《みなしぐり》」(天和三年上梓)の跋《ばつ》の後に「芭蕉洞[#「洞」に白丸傍点]桃青」と署名してゐる。「芭蕉庵[#「庵」に白丸傍点]桃青」は必しも海彼岸の文学を聯想せしめる雅号ではない。しかし「芭蕉洞[#「洞」に白丸傍点]桃青」は「凝烟肌帯緑映日瞼粧紅《ギヨウエンキミドリヲオビヒニエイジテケンクレナヰヲヨソホフ》」の詩中の趣《おもむき》を具へてゐる。(これは勝峯晉風氏も「芭蕉俳句定本」の年譜の中に「洞[#「洞」に白丸傍点]の一字を見落してならぬ」と云つてゐる。)すると芭蕉は――少くとも延宝天和の間の芭蕉は、海彼岸の文学に少なからず心酔してゐたと云はなければならぬ。或は多少の危険さへ冒《をか》せば、談林風の鬼窟裡《きくつり》に堕在《だざい》してゐた芭蕉の天才を開眼《かいげん》したものは、海彼岸の文学であるとも云はれるかも知れない。かう云ふ芭蕉の俳諧の中に、海彼岸の文学の痕跡のあるのは、勿論不思議がるには当らない筈である。偶《たまたま》、「芭蕉俳句定本」を読んでゐるうちに、海彼岸の文学の影響を考へたから、「芭蕉雑記」の後に加へることにした。
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附記。芭蕉は夙《つと》
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