に伊藤|坦庵《たんあん》、田中|桐江《とうかう》などの学者に漢学を学んだと伝へられてゐる。しかし芭蕉の蒙《かうむ》つた海彼岸の文学の影響は寧ろ好んで詩を作つた山口|素堂《そだう》に発するのかも知れない。
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     十二 詩人

 蕉風の付《つ》け合《あひ》に関する議論は樋口|功《いさを》氏の「芭蕉研究」に頗《すこぶ》る明快に述べられてゐる。尤も僕は樋口氏のやうに、発句は蕉門の竜象《りゆうざう》を始め蕪村も甚だ芭蕉には劣つてゐなかつたとは信ぜられない。が、芭蕉の付け合の上に古今独歩の妙のあることはまことに樋口氏の議論の通りである。のみならず元禄の文芸復興の蕉風の付け合に反映してゐたと云ふのは如何にも同感と云はなければならぬ。
 芭蕉は少しも時代の外に孤立してゐた詩人ではない。いや、寧ろ時代の中に全精神を投じた詩人である。たまたまその間口の広さの芭蕉の発句に現れないのはこれも樋口氏の指摘したやうに発句は唯「わたくし詩歌」を本道とした為と云はなければならぬ。蕪村はこの金鎖《きんさ》を破り、発句を自他|無差別《むしやべつ》の大千世界《だいせんせかい》へ解放した。「お
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