たらしい。少くとも学者らしい顔をする者には忽ち癇癪《かんしやく》を起したと見え、常に諷刺的天才を示した独特の皮肉を浴びせかけてゐる。
「山里は万歳《まんざい》遅し梅の花。翁|去来《きよらい》へ此句を贈られし返辞に、この句二義に解すべく候。山里は風寒く梅の盛《さかり》に万歳来らん。どちらも遅しとや承らん。又山里の梅さへ過ぐるに万歳殿の来ぬ事よと京なつかしき詠《ながめ》や侍らん。翁此返辞に其事とはなくて、去年の水無月《みなつき》五条あたりを通り候に、あやしの軒に看板を懸けて、はくらん[#「はくらん」に傍点]の妙薬ありと記す。伴《ともな》ふどち可笑《をか》しがりて、くわくらん[#「くわくらん」に傍点](霍乱)の薬なるべしと嘲笑《あざわら》ひ候まま、それがし答へ候ははくらん[#「はくらん」に傍点](博覧)病《やみ》が買ひ候はんと申しき。」
これは一門皆学者だつた博覧多識の去来には徳山《とくさん》の棒よりも手痛かつたであらう。(去来は儒医二道に通じた上、「乾坤弁説《けんこんべんせつ》」の翻訳さへ出した向井霊蘭《むかゐれいらん》を父に持ち、名医|元端《げんたん》や大儒|元成《げんせい》を兄弟に持
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