でも好い。差当り此処に考へたいのは海彼岸《かいひがん》の文学に対する芭蕉その人の態度である。是等の逸話に窺《うかが》はれる芭蕉には少しも学者らしい面影は見えない。今仮に是等の逸話を当代の新聞記事に改めるとすれば、質問を受けた芭蕉の態度はこの位淡泊を極めてゐるのである。――
「某新聞記者の西洋の詩のことを尋ねた時、芭蕉はその記者にかう答へた。――西洋の詩に詳《くは》しいのは京都の上田|敏《びん》である。彼の常に云ふ所によれば、象徴派の詩人の作品は甚だ幽幻を極めてゐる。」
「……芭蕉はかう答へた。……さう云ふことは西洋の詩にもあるのかも知れない。この間森鴎外と話したら、ゲエテにはそれも多いさうである。又近頃の詩人の何とかイツヒの作品にも多い。実はその詩も聞かせて貰つたのだが、生憎《あいにく》すつかり忘れてしまつた。」
 これだけでも返答の出来るのは当時の俳人には稀だつたかも知れない。が、兎に角海彼岸の文学に疎《うと》かつた事だけは確である。のみならず芭蕉は言詮《げんせん》を絶した芸術上の醍醐味《だいごみ》をも嘗めずに、徒《いたづ》らに万巻の書を読んでゐる文人|墨客《ぼくかく》の徒を嫌つてゐ
前へ 次へ
全34ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング