つ》のおとがひ閉づる葎《むぐら》かな
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 第一は純然たる風景画である。第二は点景人物を加へた風景画である。第三は純然たる人物画である。この芭蕉の三様の画趣はいづれも気品の低いものではない。殊に「山賤の」は「おとがひ閉づる」に気味の悪い大きさを表はしてゐる。かう云ふ画趣を表現することは蕪村さへ数歩を遜《ゆづ》らなければならぬ。(度《たび》たび引合ひに出されるのは蕪村の為に気の毒である。が、これも芭蕉以後の巨匠だつた因果と思はなければならぬ。)のみならず最も蕪村らしい大和画の趣を表はす時にも、芭蕉はやはり楽々と蕪村に負けぬ効果を収めてゐる。
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粽《ちまき》ゆふ片手にはさむひたひ髪
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 芭蕉自身はこの句のことを「物語の体《たい》」と称したさうである。

     十 衆道

 芭蕉もシエクスピイアやミケル・アンジエロのやうに衆道《しゆだう》を好んだと云はれてゐる。この談《はなし》は必しも架空ではない。元禄は井原西鶴の大鑑《おほかがみ》を生んだ時代である。芭蕉も亦或は時代と共に分桃《ぶんたう》の契《ちぎ》りを愛したかも知れな
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