い。現に又「我も昔は衆道好きのひが耳にや」とは若い芭蕉の筆を執つた「貝おほひ」の中の言葉である。その他芭蕉の作品の中には「前髪もまだ若草の匂かな」以下、美少年を歌つたものもない訳ではない。
しかし芭蕉の性慾を倒錯《たうさく》してゐたと考へるのは依然として僕には不可能である。成程芭蕉は明らかに「我も昔は衆道好き」と云つた。が、第一にこの言葉は巧みに諧謔の筆を弄《ろう》した「貝おほひ」の判詞《はんのことば》の一節である。するとこれをものものしい告白のやうに取り扱ふのは多少の早計ではないであらうか? 第二によし又告白だつたにせよ、案外昔の衆道好きは今の衆道好きではなかつたかも知れない。いや、今も衆道好きだつたとすれば、何も特に「昔は」と断る必要もない筈である。しかも芭蕉は「貝おほひ」を出した寛文十一年の正月にもやつと二十九歳だつたのを思ふと、昔と云ふのも「春の目ざめ」以後数年の間を指してゐるであらう。かう云ふ年頃の Homo−Sexuality は格別珍らしいことではない。二十世紀に生れた我々さへ、少時《せうじ》の性慾生活をふり返つて見れば、大抵一度は美少年に恍惚とした記憶を蓄へてゐる。況
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