な」とはずみかけた調子は、宛然芭蕉その人の心の小躍《こをど》りを見るやうである。更に又下の句などを見れば、芭蕉の「調べ」を駆使するのに大自在を極めてゐたことには呆気《あつけ》にとられてしまふ外はない。
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秋ふかき隣は何をする人ぞ
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 かう云ふ荘重の「調べ」を捉《とら》へ得たものは茫々たる三百年間にたつた芭蕉一人である。芭蕉は子弟を訓《をし》へるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。この言葉は少しも大風呂敷ではない。芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以《ゆゑん》である。

     八 同上

 芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙に融け合つた美しさである。西洋人の言葉を借りれば、言葉の Formal element と Musical element との融合の上に独特の妙のあることである。これだけは蕪村《ぶそん》の大手腕も畢《つひ》に追随出来なかつたらしい。下《しも》に挙げるのは几董《きとう》の編した蕪村句集に載つてゐる春雨の句の全部である。
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春雨やものかたりゆく蓑《みの》
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