中に「言葉の音楽」をも伝へることは大力量の人を待たなければならぬ。のみならず「調べ」にのみ執《しふ》するのは俳諧の本道を失したものである。芭蕉の「調べ」を後にせよと云つたのはこの間の消息を語るものであらう。しかし芭蕉自身の俳諧は滅多に「調べ」を忘れたことはない。いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさへある。
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夏の月|御油《ごゆ》より出でて赤坂《あかさか》や
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これは夏の月を写すために、「御油」「赤坂」等の地名の与へる色彩の感じを用ひたものである。この手段は少しも珍らしいとは云はれぬ。寧ろ多少|陳套《ちんたう》の譏《そし》りを招きかねぬ技巧であらう。しかし耳に与へる効果は如何にも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢れてゐる。
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年の市線香買ひに出でばやな
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仮に「夏の月」の句をリブレツトオよりもスコアアのすぐれてゐる句とするならば、この句の如きは両者ともに傑出したものの一例である。年の市《いち》に線香を買ひに出るのは物寂びたとは云ふものの、懐しい気もちにも違ひない。その上「出でばや
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