、これこそ発句なれとて、今の句に作《つくり》て入集せさせ給ひけり。」(小宮豊隆氏はこの逸話に興味のある解釈を加へてゐる。同氏の芭蕉研究を参照するが好い。)
この時使はれた「じだらくに」はもう単純なる俗語ではない。紅毛人の言葉を借りれば、芭蕉の情調のトレモロを如実に表現した詩語である。これを更に云ひ直せば、芭蕉の俗語を用ひたのは俗語たるが故に用ひたのではない。詩語たり得るが故に用ひたのである。すると芭蕉は詩語たり得る限り、漢語たると雅語たるとを問はず、如何なる言葉をも用ひたことは弁ずるを待たぬのに違ひない。実際又芭蕉は俗語のみならず、漢語をも雅語をも正したのである。
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佐夜《さよ》の中山《なかやま》にて
命なり[#「命なり」に傍点]わづかの笠の下涼み
杜牧《とぼく》が早行《さうかう》の残夢、小夜の
中山にいたりて忽ち驚く
馬に寝て残夢月遠し[#「残夢月遠し」に傍点]茶のけぶり
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芭蕉の語彙《ごゐ》はこの通り古今東西に出入してゐる。が、俗語を正したことは最も人目に止まり易い特色だつたのに違ひない。又俗語を正したことに詩人たる芭蕉
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