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  洗馬《せば》にて
梅雨《つゆ》ばれの私雨《わたくしあめ》や雲ちぎれ
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「梅雨ばれ」と云ひ、「私雨」と云ひ、「雲ちぎれ」と云ひ、悉《ことごとく》俗語ならぬはない。しかも一句の客情《かくじやう》は無限の寂しみに溢《あふ》れてゐる。(成程かう書いて見ると、不世出の天才を褒《ほ》め揚《あ》げるほど手数のかからぬ仕事はない。殊に何びとも異論を唱へぬ古典的天才を褒め揚げるのは!)かう云ふ例は芭蕉の句中、枚挙《まいきよ》に堪へぬと云つても好い。芭蕉のみづから「俳諧の益は俗語を正すなり」と傲語《がうご》したのも当然のことと云はなければならぬ。「正す」とは文法の教師のやうに語格や仮名遣ひを正すのではない。霊活《れいくわつ》に語感を捉へた上、俗語に魂を与へることである。
「じだらくに居れば涼しき夕《ゆふべ》かな。宗次《そうじ》。猿みの撰の時、宗次今一句の入集を願ひて数句吟じ侍れど取《とる》べき句なし。一夕《いつせき》、翁の側《かたはら》に侍りけるに、いざくつろぎ給へ、我も臥《ふし》なんと宣《のたま》ふ。御ゆるし候へ、じだらくに居れば涼しく侍ると申しければ、翁曰
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