れども、一句連続せざると宣《のたま》へり。予が云、是須磨の鼠よりはるかにまされり。(中略)暁の一字つよきこと、たとへ侍るものなしと申せば、師もうれしく思はれけん、これほどに聞《きき》てくれる人なし、唯予が口よりいひ出せば[#「唯予が口よりいひ出せば」に傍点]、肝をつぶしたる顔のみにて[#「肝をつぶしたる顔のみにて」に傍点]、善悪の差別もなく[#「善悪の差別もなく」に傍点]、鮒の泥に酔たるごとし[#「鮒の泥に酔たるごとし」に傍点]、其夜此句したる時[#「其夜此句したる時」に傍点]、一座のものどもに我遅参の罪ありと云へども[#「一座のものどもに我遅参の罪ありと云へども」に傍点]、此句にて腹を医せよと自慢せしと宣ひ侍る[#「此句にて腹を医せよと自慢せしと宣ひ侍る」に傍点]。」
知己に対する感激、流俗に対する軽蔑、芸術に対する情熱、――詩人たる芭蕉の面目はありありとこの逸話に露《あら》はれてゐる。殊に「この句にて腹を医《いや》せよ」と大気焔を挙げた勢ひには、――世捨人は少時《しばらく》問はぬ。敬虔《けいけん》なる今日の批評家さへ辟易《へきえき》しなければ幸福である。
「翁|凡兆《ぼんてう》に告て曰、一世のうち秀逸|三五《さんご》あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり。」
名人さへ一生を消磨した後、十句しか得られぬと云ふことになると、俳諧も亦閑事業ではない。しかも芭蕉の説によれば、つまりは「生涯の道の草」である!
「十一日。朝またまた時雨《しぐれ》す。思ひがけなく東武《とうぶ》の其角《きかく》来る。(中略)すぐに病床にまゐりて、皮骨《ひこつ》連立《れんりつ》したまひたる体を見まゐらせて、且愁ひ、且悦ぶ。師も見やりたまひたるまでにて、ただただ涙ぐみたまふ。(中略)
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鬮《くじ》とりて菜飯《なめし》たたかす夜伽《よとぎ》かな 木節
皆子なり蓑虫《みのむし》寒く鳴きつくす 乙州
うづくまる薬のもとの寒さかな 丈艸
吹井《ふきゐ》より鶴をまねかん初|時雨《しぐれ》 其角
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一々|惟然《ゐねん》吟声しければ、師|丈艸《ぢやうさう》が句を今一度と望みたまひて、丈艸でかされたり、いつ聞いてもさびしをり整ひたり、面白し面白しと、しは嗄《が》れし声もて讃めたまひにけり。」
これは芭蕉の示寂《じじやく》前一日に起つた出来事である。芭蕉
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