は我頬がまちを人に云がごとし」である。しかし芸術は頬がまちほど、何《なん》びとにもはつきりわかるものではない。いつも自作に自釈を加へるバアナアド・シヨウの心もちは芭蕉も亦多少は同感だつたであらう。

     四 詩人

「俳諧なども生涯の道の草にしてめんどうなものなり」とは芭蕉の惟然《ゐねん》に語つた言葉である。その他俳諧を軽んじた口吻《こうふん》は時々門人に洩らしたらしい。これは人生を大夢と信じた世捨人の芭蕉には寧《むし》ろ当然の言葉である。
 しかしその「生涯の道の草」に芭蕉ほど真剣になつた人は滅多《めつた》にゐないのに違ひない。いや、芭蕉の気の入れかたを見れば、「生涯の道の草」などと称したのはポオズではないかと思ふ位である。
「土芳《とはう》云《いふ》、翁|曰《いはく》、学ぶ事は常にあり。席に臨んで文台と我と間《かん》に髪《はつ》を入れず。思ふこと速《すみやか》に云《いひ》出《いで》て、爰《ここ》に至《いたり》てまよふ念なし。文台引おろせば即|反故《ほご》なりときびしく示さるる詞《ことば》もあり。或時は大木倒すごとし。鍔本《つばもと》にきりこむ心得、西瓜きるごとし。梨子《なし》くふ口つき、三十六句みなやり句などといろいろにせめられ侍《はべ》るも、みな巧者の私意を思ひ破らせんの詞《ことば》なり。」
 この芭蕉の言葉の気ぐみは殆ど剣術でも教へるやうである。到底俳諧を遊戯にした世捨人などの言葉ではない。更に又芭蕉その人の句作に臨んだ態度を見れば、愈情熱に燃え立つてゐる。
「許六《きよろく》云、一とせ江戸にて何がしが歳旦びらきとて翁を招きたることあり。予が宅に四五日逗留の後にて侍る。其日雪降て暮にまゐられたり。其俳諧に、
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人声の沖にて何を呼《よぶ》やらん  桃鄰
 鼠は舟をきしる暁  翁
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 予其後芭蕉庵へ参《まゐり》とぶらひける時、此句をかたり出し給ふに、予が云、さてさて此暁の一字ありがたき事、あだに聞かんは無念の次第也。動かざること、大山のごとしと申せば師起き上りて曰、此暁の一字聞きとどけ侍りて、愚老が満足かぎりなし。此句はじめは
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須磨の鼠の舟きしるおと
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 と案じける時、前句に声の字|有《あり》て、音の字ならず、依て作りかへたり、須磨の鼠とまでは気を廻《めぐら》し侍
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