と云つたさうである。すると七部集の監修をするのも「空《くう》」と考へはしなかつたであらうか? 同時に又集を著はすのさへ、実は「悪」と考へる前に「空」と考へはしなかつたであらうか? 寒山《かんざん》は木の葉に詩を題した。が、その木の葉を集めることには余り熱心でもなかつたやうである。芭蕉もやはり木の葉のやうに、一千余句の俳諧は流転《るてん》に任せたのではなかつたであらうか? 少くとも芭蕉の心の奥にはいつもさう云ふ心もちの潜んでゐたのではなかつたであらうか?
 僕は芭蕉に著書のなかつたのも当然のことと思つてゐる。その上宗匠の生涯には印税の必要もなかつたではないか?

     二 装幀

 芭蕉は俳書を上梓《じやうし》する上にも、いろいろ註文を持つてゐたらしい。たとへば本文の書きざまにはかう云ふ言葉を洩らしてゐる。
「書《かき》やうはいろいろあるべし。唯さわがしからぬ心づかひ有りたし。『猿簔《さるみの》』能筆なり。されども今少し大《おほい》なり。作者の名|大《だい》にていやしく見え侍《はべ》る。」
 又|勝峯晉風《かつみねしんぷう》氏の教へによれば、俳書の装幀《さうてい》も芭蕉以前は華美を好んだのにも関らず、芭蕉以後は簡素の中に寂《さ》びを尊んだと云ふことである。芭蕉も今日に生れたとすれば、やはり本文は九ポイントにするとか、表紙の布《きれ》は木綿にするとか、考案を凝《こ》らしたことであらう。或は又ウイリアム・モリスのやうに、ペエトロン杉風《さんぷう》とも相談の上に、Typography に新意を出したかも知れぬ。

     三 自釈

 芭蕉は北枝《ほくし》との問答の中に、「我句を人に説くは我頬がまちを人に云《いふ》がごとし」と作品の自釈を却《しりぞ》けてゐる。しかしこれは当にならぬ。さう云ふ芭蕉も他の門人にはのべつに自釈を試みてゐる。時には大いに苦心したなどと手前味噌《てまへみそ》さへあげぬことはない。
「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店《たな》。此句、翁曰、心づかひせずと句になるものを、自讃に足らずとなり。又かまくらを生《いき》て出でけん初松魚《はつがつを》と云ふこそ心の骨折《ほねをり》人の知らぬ所なり。又曰猿の歯白し峰の月といふは其角《きかく》なり。塩鯛の歯ぐきは我老吟なり。下《しも》を魚の店と唯いひたるもおのづから句なりと宣《のたま》へり。」
 まことに「我句を人に説く
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