つてゐた人である。)なほ又|次手《ついで》に一言すれば、芭蕉は一面理智の鋭い、悪辣《あくらつ》を極めた諷刺家である。「はくらん[#「はくらん」に傍点]病が買ひ候はん」も手厳《てきび》しいには違ひない。が、「東武《とうぶ》の会に盆を釈教《しやくけう》とせず、嵐雪《らんせつ》是を難ず。翁曰、盆を釈教とせば正月は神祇《しんぎ》なるかとなり。」――かう云ふ逸話も残つてゐる。兎に角芭蕉の口の悪いのには屡《しばしば》門人たちも悩まされたらしい。唯幸ひにこの諷刺家は今を距《さ》ること二百年ばかり前に腸|加答児《カタル》か何かの為に往生した。さもなければ僕の「芭蕉雑記」なども定めし得意の毒舌の先にさんざん飜弄されたことであらう。
 芭蕉の海彼岸の文学に余り通じてゐなかつたことは上に述べた通りである。では海彼岸の文学に全然冷淡だつたかと云ふと、これは中々冷淡所ではない。寧ろ頗《すこぶ》る熱心に海彼岸の文学の表現法などを自家の薬籠《やくろう》中に収めてゐる。たとへば支考《しかう》の伝へてゐる下の逸話に徴《ちよう》するが好い。
「ある時翁の物がたりに、此ほど白氏《はくし》文集を見て、老鶯《らうあう》と云《いひ》、病蚕《びやうさん》といへる言葉のおもしろければ、
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黄鳥《うぐひす》や竹の子藪に老《おい》を啼《なく》
さみだれや飼蚕《かひこ》煩《わづら》ふ桑の畑
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 斯く二句を作り侍りしが、鴬は筍藪《たけのこやぶ》といひて老若《らうにやく》の余情もいみじく籠《こも》り侍らん。蚕は熟語をしらぬ人は心のはこびをえこそ聞くまじけれ。是は筵《むしろ》の一字を入れて家に飼ひたるさまあらんとなり。」
 白楽天の長慶集《ちやうけいしふ》は「嵯峨《さが》日記」にも掲げられた芭蕉の愛読書の一つである。かう云ふ詩集などの表現法を換骨奪胎《くわんこつだつたい》することは必しも稀ではなかつたらしい。たとへば芭蕉の俳諧はその動詞の用法に独特の技巧を弄してゐる。
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一声《ひとこゑ》の江《え》に横たふ[#「横たふ」に傍点]や時鳥《ほととぎす》
  立石寺《りつしやくじ》(前書略)
閑《しづか》さや岩にしみ入る[#「しみ入る」に傍点]蝉の声
  鳳来寺に参籠して
木枯《こがらし》に岩吹とがる[#「岩吹とがる」に傍点]杉間《すぎま》かな
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