い。現に又「我も昔は衆道好きのひが耳にや」とは若い芭蕉の筆を執つた「貝おほひ」の中の言葉である。その他芭蕉の作品の中には「前髪もまだ若草の匂かな」以下、美少年を歌つたものもない訳ではない。
しかし芭蕉の性慾を倒錯《たうさく》してゐたと考へるのは依然として僕には不可能である。成程芭蕉は明らかに「我も昔は衆道好き」と云つた。が、第一にこの言葉は巧みに諧謔の筆を弄《ろう》した「貝おほひ」の判詞《はんのことば》の一節である。するとこれをものものしい告白のやうに取り扱ふのは多少の早計ではないであらうか? 第二によし又告白だつたにせよ、案外昔の衆道好きは今の衆道好きではなかつたかも知れない。いや、今も衆道好きだつたとすれば、何も特に「昔は」と断る必要もない筈である。しかも芭蕉は「貝おほひ」を出した寛文十一年の正月にもやつと二十九歳だつたのを思ふと、昔と云ふのも「春の目ざめ」以後数年の間を指してゐるであらう。かう云ふ年頃の Homo−Sexuality は格別珍らしいことではない。二十世紀に生れた我々さへ、少時《せうじ》の性慾生活をふり返つて見れば、大抵一度は美少年に恍惚とした記憶を蓄へてゐる。況《いはん》や門人の杜国《とこく》との間に同性愛のあつたなどと云ふ説は畢竟《ひつきやう》小説と云ふ外はない。
十一 海彼岸の文学
「或禅僧、詩の事を尋ねられしに、翁|曰《いはく》、詩の事は隠士素堂《いんしそだう》と云ふもの此道に深きすきものにて、人の名を知れるなり。かれ常に云ふ、詩は隠者の詩、風雅にてよろし。」
「正秀《せいしう》問《とふ》、古今集に空に知られぬ雪ぞ降りける、人に知られぬ花や咲くらん、春に知られぬ花ぞ咲くなる、一集にこの三首を撰す。一集一作者にかやうの事|例《ためし》あるにや。翁曰、貫之《つらゆき》の好める言葉と見えたり。かやうの事は今の人の嫌ふべきを、昔は嫌はずと見えたり。もろこしの詩にも左様の例《ためし》あるにや。いつぞや丈艸の物語に杜子美《としび》に専ら其事あり。近き詩人に于鱗《うりん》とやらんの詩に多く有る事とて、其詩も、聞きつれど忘れたり。」
于鱗は嘉靖七子《かせいしちし》の一人|李攀竜《りはんりよう》のことであらう。古文辞を唱へた李攀竜の芭蕉の話中に挙げられてゐるのは杜甫に対する芭蕉の尊敬に一道の光明を与へるものである。しかしそれはまづ問はない
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