《とお》して見る時は、美しい世界を展開する。お君さんはその実生活の迫害を逃《のが》れるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠した。そこには一月六円の間代《まだい》もなければ、一升七十銭の米代もない。カルメンは電燈代の心配もなく、気楽にカスタネットを鳴らしている。浪子夫人も苦労はするが、薬代の工面《くめん》が出来ない次第ではない。一言にして云えばこの涙は、人間苦の黄昏《たそがれ》のおぼろめく中に、人間愛の燈火をつつましやかにともしてくれる。ああ、東京の町の音も全くどこかへ消えてしまう真夜中、涙に濡れた眼を挙げながら、うす暗い十燭の電燈の下に、たった一人|逗子《ずし》の海風《かいふう》とコルドヴァの杏竹桃《きょうちくとう》とを夢みている、お君さんの姿を想像――畜生、悪意がない所か、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。元来世間の批評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。
 そのお君さんがある冬の夜、遅くなってカッフェから帰って来ると、始《はじめ》は例のごとく机に向って、「松井須磨子《まついすまこ》の一生」か何か読んでいたが、まだ一|頁《ペ
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