月号に「切り捨御免」の一文を寄す。論旨は昆吾《こんご》と鋭を争ひ、文辞は卞王《べんわう》と光を競ふ。真に当代の盛観なり。江口君論ずらく、「星霜を閲《けみ》すること僅に一歳、プロレタリアの論客は容易に論壇を占領せり」と。何ぞその壮烈なる。江口君又論ずらく、「創作壇の一の木戸《きど》、二の木戸、本丸も何時かは落城の憂目《うきめ》を見ん」と。何ぞその悠悠たる。江口君三たび論ずらく、「プロレタリア文学勃興と共に、俄《には》かに色を染め加へし赤大根《あかだいこん》の輩出山の如し」と。何ぞその痛快なる。唯山客の頑愚《ぐわんぐ》なる、もしプロレタリアに急変したる小説家、批評家、戯曲家を呼ぶに赤大根を以てせんか、その論壇を占領し、又かの創作壇の一の木戸、二の木戸、乃至《ないし》本丸さへ占領せんとする諸先生も赤大根にあらざるや否や、多少の疑問なき能はず。且《かつ》山客の所見によれば、赤大根の繁殖したるはプロレタリア文芸の勃興以前、隣邦|露西亜《ロシア》の革命に端を発するものの如し。もし然りとせば江口君も、古色愛すべき赤大根のみ。もし又君の為に然らずとせんか、かの近来の赤大根は君の小説に感奮し、君の評論に
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング