くなると、いろいろな魔性《ましょう》が現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言《ひとこと》でも口を利《き》いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好《い》いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ」と言いました。
「大丈夫です。決して声なぞは出しません。命がなくなっても、黙っています」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」
 老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、夜目にも削ったような山々の空へ、一文字に消えてしまいました。
 杜子春はたった一人、岩の上に坐ったまま、静《しずか》に星を眺めていました。するとかれこれ半時《はんとき》ばかり経って、深山の夜気が肌寒く薄い着物に透《とお》り出した頃、突然空中に声があって、
「そこにいるのは何者だ」と、叱りつけるではありませんか。
 しかし杜子春は仙人の教《おしえ》通り、何とも返事をしずにいました。
 ところが又暫くすると、やはり同じ声が響いて、
「返事をしないと立ちどころに、命はないものと覚悟しろ」と、いかめしく嚇《おど》しつ
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