けるのです。
杜子春は勿論黙っていました。
と、どこから登って来たか、爛々《らんらん》と眼を光らせた虎《とら》が一匹、忽然《こつぜん》と岩の上に躍《のぼ》り上って、杜子春の姿を睨《にら》みながら、一声高く哮《たけ》りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈《はげ》しくざわざわ揺れたと思うと、後《うしろ》の絶壁の頂からは、四斗樽《しとだる》程の白蛇《はくだ》が一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
杜子春はしかし平然と、眉毛《まゆげ》も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食《えじき》を狙《ねら》って、互に隙《すき》でも窺《うかが》うのか、暫くは睨合いの体《てい》でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎の牙《きば》に噛《か》まれるか、蛇の舌に呑《の》まれるか、杜子春の命は瞬《またた》く内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失《う》せて、後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待っ
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