まりランプ・シエエドなどに感心して来てはいけません。
 室生犀星《むろふさいせい》 これは何度も書いたことあれば、今更言を加へずともよし。只僕を僕とも思はずして、「ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股《さるまた》をはきかへなさい」とか、「そのステッキはよしなさい」とか、入らざる世話を焼く男は余り外《ほか》にはあらざらん乎《か》。但し僕をその小言《こごと》の前に降参するものと思ふべからず。僕には室生《むろふ》の苦手《にがて》なる議論を吹つかける妙計《めうけい》あり。
 久保田万太郎《くぼたまんたろう》 これも多言《たげん》を加ふるを待たず。やはり僕が議論を吹つかければ、忽ち敬して遠ざくる所は室生と同工異曲なり。なほ次手に吹聴《ふいちやう》すれば、久保田君は酒客《しゆかく》なれども、(室生を呼ぶ時は呼び捨てにすれども、久保田君は未《いま》だに呼び捨てに出来ず。)海鼠腸《このわた》を食はず。からすみを食はず、況《いはん》や烏賊《いか》の黒作《くろづく》り(これは僕も四五日|前《ぜん》に始めて食ひしものなれども)を食はず。酒客たらざる僕よりも味覚の進歩せざるは気の毒なり。
 北原大輔《きたはら
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